東京都現代美術館でのキセイノセイキ展のために私は天皇の肖像を制作して いました。しかし、その作品が展示されることはありませんでした。主体性 が見えにくい自主規制の構造自体を扱おうとした展覧会企画プロセスの中で、 ある主体的な倫理観に基づく判断が聞けたと私は考え、作家の自己検閲とい う形で作品を取り下げました。しかし、私の判断が美術館という場所を信じ て奮闘している企画者一同を失望させる結果となりました。美術館という場 を信じてもっと戦わなければならなかったのか、それともやはりそこには尊 重されるべき限度があったのか、今でも頭を悩ませています。 公的美術館とはまた制度が違う無人島プロダクションという場所で、アーティ ストにとっての自己検閲とは、そしてなぜ天皇という人間を美術作品で扱い 展示することが困難なのかということについて、皆さんと考える場が持てれ ばと願っています。 2016 年 4 月 小泉明郎
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